そのとき、ペテロがみもとに来て言った。
「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」
イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。
(マタイ18:21-22)
3日目の夜にもたれる「男女別集会」の男性集会でのメッセージを頼まれて(妻が女性集会)、家族で行くことになったんです。
メインの講師は朝の集会が山崎ランサム和彦先生。夜の集会が内越努先生。
初日の内越先生のメッセージで「赦し」の話があって...2日目にJCFNの清水摂さんが帰国に関するメッセージをしたんですが、そこでも「赦し」の話があって...3日目に用意していた僕のメッセージでも「赦し」が結構大きなテーマで...
以前の僕なら「ゲッ...かぶってる...」って焦り始めてたかもしれないんだけど、今回は逆にワクワクしてきた。今回のECで神様は参加者に繰り返し、何回も「赦し」について聞いて欲しいんだ...って。打ち合わせも何もなしで、こんなにテーマが一貫するなんて、これぞ神様からのメッセージ!焦るどころか神様のすごさに鳥肌立ったし。
よく「イエス様を信じた時にすべての罪が赦されました」って言うけど、過去形で行ってしまうためか、なんとなくニュアンス的にその「赦し」が今日も着いて来てるって感じがしないような気がするんですよね。
だからある人たちは同じ罪を繰り返してしまったり、やめなきゃいけない罪をやめられなかったりすると、「もう自分はだめだ」って思って落ち込んでしまったりする。もう神様は愛してくれないんじゃないか...とか思っちゃったりすることもある。それはサタンの声だよってわかっていても、自分で自分が嫌になってしまったり...神様を信じる資格ない、とか思ったり...。
内越先生がマタイ18:21-22の話をされてたけど、ペテロがイエス様に「罪を犯した人を何回赦せばいいですか?」って聞いた時、イエス様は「7の70倍」って答えられた。つまり何回でも...って事。
イエス様が私たちに「7の70倍赦しなさい」って言うって事は、神様ももちろん僕たちを「7の70倍」...いや、それ以上、何回も何回も赦してくださるって事だよね。その事を僕たちはつい忘れてしまうのかもしれない。人間界ではありえない事だから。
でもイエス様が十字架で流された血潮は僕たちのどんな罪深さをも、いつまでも聖め続けてくださる、奇跡の血潮...ちょっとやそっとじゃその効力はなくならない。
大切なのは、赦していただくためには悔い改めが必要って事。
罪を犯してても自動的に永遠に赦していただける...って事じゃない。罪を犯す度に罪を悲しんで、罪を悔い改めて、「神様、もう一度あなたに従っていきたいです!そのチャンスをください」って神様の方に向き直る時、神様は「7の70倍」赦してくださる。
僕たちはまだまだ完璧じゃない。だから罪を犯しちゃう。毎日罪を犯しちゃう。今日も罪を犯しちゃう。明日も罪を犯しちゃう。
だから今日、罪を犯したら、悔い改めて、今日赦していただいて、今日神様に従っていく道に戻ればいい。
明日、また罪を犯したら、また悔い改めて、また赦していただいて、また神様に従っていく道に戻ればいい。
明後日、また罪を犯したら、また悔い改めて、また赦していただいて、また神様に従っていく道に戻ればいい。
そうやって、毎日神様の赦しを体験しながら、一歩ずつ神様に近づいて行く...これがクリスチャンの生き方なんだね。
神様、こんな私を愛して、赦し続けてくださって本当にありがとう。
イエス様、こんな私が赦され続けるために十字架にかかってくださって本当にありがとう。
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