しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、親切、善意、誠実、柔和、自制です。
(ガラテヤ5:22-23)
ハレル~ヤ~ 御霊の実~は~♪
昔、歌で御霊の実を覚えたものです。でも困った事に、毎回、歌わないと御霊の実が出てこない(笑)
御霊の実ってどうやったら結ぶことができるんでしょう?
「もっと愛のある人になろう」「もっと喜びを持とう」「平安で心を満たされなきゃ」「親切な人になろう」って思うんだけど、大抵最初の「愛のある人」でつまづいちゃう。だって、そう簡単に愛のある人になれるもんじゃないですからね。
ガラテヤ5章をよく読んでみて気づいたのは、「御霊の実を結びなさい」とはどこにも書いてないんです。
って言うか、聖書のどこにもそんな事書いてないんです。
そう言われてみると、「実」って結ぼうと思って結べるものじゃない。
木の実を考えてみよう。一生懸命努力して、「う~~~~ん!!!」って力んで、力んで、「ポンッ!」って実を結んでる木なんて見たことない。出産じゃあるまいし...笑。
木は地中の水分や栄養分を吸収して、太陽の光を吸収して、そしてその結果「実」がなるんだ。(もちろん生物学的にはもっといろいろ要素があるんだけど)
つまり「実」って言うのは、「結果」なんです。
御霊の実も同じように、自分で努力して結ぶものじゃなくて、別の努力の結果に過ぎないんですね。
そう思ってガラテヤ5章をもう一度読んでみると...「御霊によって歩みなさい」(16節)、「もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか」(25)って書いてある。
御霊によって歩む、御霊に導かれる、御霊によって生きる...それがガラテヤ5章後半のテーマであり、メッセージなんです。
じゃ、御霊によって歩む、御霊に導かれて歩むってどういう事?
これだけで本が一冊書けそうな大きなトピックですね。
まず、御霊によって歩むって言うのは、イエス様のみことばに従って歩む、って事。
「聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべての事を思い起こさせてくださいます。」(ヨハネ14:26)
イエス様が話した事...みことばです。これを思い起こさせてくれるのが御霊の働きです。
何かをしてる時に「あ、今、クリスチャンとしてこうするべきだよね」って言う思いが心の中に浮かぶことがあります。御霊が働いている瞬間です。
みことばが心に浮かぶこともあるでしょう。御霊が働いている瞬間です。
みことばを思い起こした時にどうしますか?それに従って歩む...やっぱそれしかないですよね。
もう一つ、御霊によって歩むって言うのは、罪を悔い改めて歩む、って事。
「その方(聖霊)が来ると、罪について、義について、裁きについて、世にその誤りを認めさせます。」(ヨハネ16:9)
何かをしてる時に、「これ罪だよね」って思う事があります。
御霊が働いている瞬間です。
御霊は私たちの罪を指摘してくれます。その時どうしますか?やっぱ悔い改めるしかないでしょう。
御霊によって生きるって言うのは何か超自然的な物を「感じる」事ではなくて、自分の罪を悔い改めて、みことばに従って生きる事です。
罪を悔い改めて、みことばに従って生きているなら、自然に「御霊の実」が結ばれていきます。
これは一晩では起こりません。日々悔い改めて、日々従って行く中で、少しずつ、少しずつ変えられていくわけです。
御霊の実...結びたいですね。
まずは今日、悔い改めて、みことばに従って生きてみましょう。
心に御霊からの罪の指摘、そしてみことばが浮かぶ時、それをしっかりと受け止めて、従っていきましょう。