イエスが、これらのことを話しておられると、群衆の中から、ひとりの女が声を張り上げてイエスに言った。
「あなたを産んだ腹、あなたが吸った乳房は幸いです。」
しかし、イエスは言われた。「いや、幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです。」
(ルカ11:28)
「あなたを産んだ腹、あなたが吸った乳房は幸いです。」 これは「あなたを産んだ母親はどんなに幸いなことでしょう!」と言う意味です。イエス様があまりにも素晴らしい話をしていたので、イエス様をほめたたえるだけじゃなく、イエス様の親をもほめたたえているんですね。現代の日本ではこういう言い方はまずしませんが、当時のユダヤ人の文化ではあまり珍しくない、祝福の言葉だったようです。
ま、それはともかく...どういう人を見た時「あの人は幸せな人だなぁ」と思いますか?
事業で成功している人。自分が買えないような物を何でも持っている人。ある分野で優れた能力を持っている人。子供がまっすぐ育っている(ように見える)人。いい学校、いい会社に入った人。マイホームを持っている人。素敵な彼氏、彼女がいる人。
一般的にはこういう人が「幸せ」に見えるかもしれません。そしてそういう生き方を目指し、手に入れようと一生懸命頑張っているかもしれません。
そんなこの世のメガネで、一生懸命神様に従おうとしているクリスチャンを見たらどのように映るでしょうか?「あの人、誰よりも幸せそうだな」って思うでしょうか?皆さんの教会の牧師先生はどうですか?牧師って言うのは確かに簡単な働きではありません。でも、経済的にもっと豊かになれる仕事を辞めて、神様に一生懸命従って仕え、生きているのが牧師です(大半の場合はそうだと思います。そうであって欲しい物です。) そんな牧師の姿を見て、「先生はいつ見ても幸せそうだな」って思うでしょうか?それとも「大変そう」って思うでしょうか?
牧師じゃなくて、信徒であっても、家族で唯一のクリスチャンで、しょっちゅう家族から嫌味とかを言われながら頑張って信仰を貫いて生きている人はどうでしょうか?会社で唯一のクリスチャンで、価値観の違う人たちに囲まれて、それでも妥協することなくみことばに従って歩んでいる人はどうでしょうか?思い切りこの世の冷たい逆風にあおられて、辛い思いをする事もしばしば...そういう人たちを見た時に「わぁ、あの人すごい幸せそう...私もああいう生き方したいなぁ」って思うでしょうか?それとも「大変そう」って思うでしょうか?
イエス様は言われました。「幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです。」
この世は辛い思いをせずに生きる事ができるなら、それが幸せ...と言います。自分の気持ちが幸せの基準なんです。でもどんなにお金があって、どんなに楽しく生きていても、神様に向かって生きていないのであれば、その行き着く所に待っているのは「裁き」であり、「滅び」です。するとそれは決して「幸せ」な生き方ではありませんね。
逆にどんなに辛い思いをしていても、神様のみことばにしっかり従って生きているなら(生きようと心がけ、努めているなら)、その行き先に待っているのは永遠に続く祝福です。神様からの「良くやった。良い忠実なしもべだ」と言う最高の言葉です。
別にみことばに従うと辛い事ばかり、と言うわけではありません。もちろんそこには喜びの道も用意されています。でも、苦しみも必ずあります。何が言いたいかと言うと、嬉しい、楽しい、辛い、苦しい、と言う私たちの気持ちは幸せとは何の関係もないと言う事なんです。本当の幸せはこの世が何と言うかではなく、私がどう感じるかではなく、どこに向かっているか...誰に向かっているか...なんです。
この世の言葉に従うのではなく、自分の言葉に従うのではなく、神様の言葉を聞いて、それに従う時、私たちは幸せの道を歩んでいる事になるんです。
この世の言葉に騙されないでください。この世の考え方、価値観に騙されないでください。この世の生き方に騙されないでください。「幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです。」
あなたは今日、幸せですか?