2016年9月13日火曜日

世界の初めからの神様の願い

神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。
「生めよ。ふえよ。地を満たせ。」
(創世記1:28)

神様が全世界を造られた時、神様は人をも造られました。男と女とに人を造られました。
そして人を造られた時、言われました。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。」

これはオリジナル大宣教命令です。

ハ????

何言っとるんや、こいつ???

と言う前に、まぁ、ちょっと聞いて(と言うか読んで)ください。

この時点で人は全く罪のない存在でした。罪が入る前ですから。
つまり、この時点での人は、神様を愛し、神様を拝し、神様に従うものでした。
命令されなくても、自然に神様を愛し、神様を拝し、神様に従う事ができたんです。
そのように造られたわけですからね。

そんな「完璧で、罪が無くて、聖い」人間に「生めよ。ふえよ。地を満たせ。」と言われている...つまり、神様を愛し、神様を拝し、神様に従う人間がこの地上を満たすように、と言う神様の思いが詰まった言葉です。

今の世界は罪の世界です。今の人間は罪人です。
そんな「今」の頭で読むと、ピンと来ないかもしれません。だから、この箇所は大抵の場合は人が増え、広がるように...ぐらいにしか説明されていません。

でも、実はこの箇所は神様を愛する人たちでこの世界が満たされるように、と言う神様のとてつもなく素晴らしい気持ちが込められている箇所なんですね。

これを今の...罪人だらけの罪の世界に住む私たちに当てはめるとどうなるでしょう?

罪人だらけの罪の世界に、神様を愛し、神様を拝し、神様に従う人が増えるように。
罪人だらけの罪の世界を、神様を愛し、神様を拝し、神様に従う人が満たすように。
と言う事になりますね。
そのために私たちに何ができるでしょう?

それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。 
(マタイ28:19-20)

人々にイエス様の事を伝え、神様を愛し、神様を拝し、神様に従う人が増えますように。
私の隣りにいる人が...私の家族が...私のクラスメイトが...私の同僚が...イエス様を信じて、イエス様を愛し、イエス様を拝し、イエス様に従う人へと変えられますように。

これは世界の初めから変わらない、神様の切なる願いです。神様の唯一の願いと言ってもいいでしょう。

この神様の願いをしっかりと受け止めて、私も同じ願いを持つことができますように。

そして神様の願いを、まず私の周りで、一人ずつ実現していくために、イエス様の事を伝えていく事ができますように。

2016年9月11日日曜日

一番シンプルな弟子訓練

それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。
そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。
(マタイ28:19-20)

もう一つ、大宣教命令から...

イエス様は「弟子を作りなさい」と言われました。
弟子ってどういう人の事でしょう?

バプテスマを受けている人。(つまり、マジでイエス様を信じている人)
イエス様が命じた事を守る人。(完璧さ...ではなくて、マジで守ろうとしている人)

ちまたでは弟子を作るためにいろんな事がなされています。
弟子訓練コース、弟子訓練の学び、メンタリング、スモールグループ、等々。

どれもこれも役に立つツールなのかもしれません。
でもどれもこれも、やれば弟子になれる、と言うわけではありません。

どうしたら最も確かな方法で、しかも最もシンプルに弟子になれるでしょう?

それは「伝道する事」じゃないかな...と最近思わされています。
ただ伝えればいい、と言うのではなくて、この人をイエス様に導こう、と心から願って伝道する事です。

例えば、僕が太郎くんにイエス様を知って欲しい!と願う時...もちろんイエス様の事を伝えます。
まずは太郎君を教会に誘うでしょう。

でも、太郎君がやっと教会に来てくれた時に僕が用事があるからと言って休んでいたら??
全然いい証しにならないよね。だから僕は毎週教会にいくようにしている必要がある。

やっと太郎君が教会に来てくれた時、僕が礼拝中居眠りしてたら...あくび連発してたら...全然楽しそうにしてなかったら...やっぱりいい証しにならないよね。太郎君はもう二度と来てくれないかもしれない。

って事は日頃から僕はただ教会に行ってるだけじゃなくて、心から賛美し、礼拝するよう心がけてなきゃいけない。
太郎君とお茶したり、遊びに行ったりする時の言動も同じ...いい証しになるように心がける必要がある。でもその時だけ繕っていると必ずボロが出るよね。つまり、日頃から常に神様に喜ばれる態度で過ごそうって心がけてなきゃいけない。

伝えれば伝えるほど、太郎君はいろいろ質問してくるかもしれない。必ずしも答えられるとは限らない。するともっと聖書を学ばんで答えられるようにしていてあげたいよね。

こうしてまじで伝道して行く時、僕は教会生活においても、日常のクリスチャンとしての態度にも、聖書を学ぶことにも、奉仕することにも...とにかくすべてにおいていい証しになれるように心がけるようになる。

すると...とても自然な形でイエス様の弟子として歩むようになっているんじゃないかな。

部屋の中で弟子訓練クラスを受けていても、学んだことを実践していかなければ、弟子にはなれない。
スモールグループも、メンタリングも同じ。

でも心から「この人にイエス様を信じて欲しい」と願いながら伝道していくなら、それが私をイエス様の弟子の姿に変えて行ってくれるんだ。


是非お試しください (*’’)