2015年7月4日土曜日

自由って何?

もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。
そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。
(ヨハネ8:31-32)

自由って何だろう?

辞書にはこう書かれていました。「自分の意のままに振る舞う事ができる事。」
ま、そうですよね。やりたい事ができる時、「自由」だと感じます。
やりたい事を制限されてしまう時、「不自由」だと感じます。

日本は自由な国です。もちろん法律もあれば規則もあるけれども、民主主義だし、基本的には自分の生きたい様に生きる事が許されている、自由な国です。

でも、イエス様は「真理はあなたがたを自由にします」と言われました。あたかも真理を知る前は自由ではなかったみたいな言い方ですね。私たちも「クリスチャンになって自由が与えられました」って言います。

共産国とかに住んでいるならまだしも、民主主義の国で自由に生きていた私たちがイエス様を信じて救われた時、一体どんな「自由」が与えられたんだろう?

この世の言う「自由」と聖書の言う「自由」はまったく違う「自由」です。この世の言う「自由」は実は全然「自由」じゃないんです。この世の言う「自由」は実は「束縛」なんです。ローマ6章にこう書かれています。

「神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの基準に心から服従し、罪から解放されて、義の奴隷となったのです。」 (ローマ6:17-18)

奴隷と言う言葉が使われているのでちょっとややこしいですが、要は、イエス様を信じる前は私たちは罪の奴隷として縛られていたと言う事です。解放されなければならない状態だったと言う事です。世界の初めまで戻って見るとわかりやすいかもしれませんね。

神様はアダムとエバを造って、エデンの園に置かれました。そこで彼らは神様が言われたように地を耕し、園を管理していました。サタンが誘惑するまでは、「園の真ん中にある木からは取って食べてはならない」と言う神様の命令もちゃんと守っていました。あれが本来の人の姿であり、本来の「自由」なんです。

ところが、サタンが彼らを惑わし、その「自由」を彼らから剥ぎ取り、罪と言う鎖でがんじがらめにしました。本来の姿通りに、神様に従い、仕えて生きることができないように、罪で「束縛」されてしまったんです。それがイエス様を信じる前の人の姿です。

つまり、自分がしたいようにできる事が「自由」なのではなく、本来の人の創造の目的である「神様に従い、神様に仕える」のが本当の「自由」なんです。この世の「自由」とは全然違うでしょう?この世において、特に日本やアメリカのような民主主義国では、基本的に自分のしたい事ができるから、自由だと教えられているけど、それはサタンの大嘘。

聖書は、私たちはイエス様を信じて罪の束縛から解放された、と言っていますね。つまり、罪の束縛から解放されて、やっと「神様に従い、神様に仕える」事ができるようになった、って事なんです。だからパウロがこう言ってるんです。

「兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。」 (ガラテヤ5:13)

私たちはあまりにも罪の束縛生活に馴染んじゃったもんだから、イエス様を信じて自由にされても「神様に従わなきゃいけない。仕えなきゃいけない。ああ、自分のやりたい事が全然できなくなっちゃう。」って思っちゃうもんです。サタンにしっかり洗脳されちゃってるんです。

もう一度聖書によって自分を洗脳してあげる必要があるのかもしれない。神様に従う事、仕える事が本当の自由なんだって事を繰り返し自分に言い聞かせて、「脱ニセ自由」を心がけたいものです。

今日、あなたは「自由」な生き方してますか?