人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
(ヨハネ15:13)
神様が私を愛しているなら、どうしてこんなに辛い目に合わせるの?
誰もが思った事のある疑問かもしれませんね。
確かにその通り、って思いたくなります。
神様は愛の神様。でも今置かれている状況の中ではその愛が見えない。
どうして苦しませるの?どうして癒されないの?どうして次から次にいろんな事が起こるの?
私たちは毎日の生活の中に神様の愛を探します。見える時もあれば、見えない時もある。
見えない時...苦しくなります。そして疑いが湧いてきます。信仰が揺さぶられます。
でもね、神様の愛はもうすでに注がれているんですよ。
あなたはもう既に世界で一番大きな愛をいただいているんです。
それは十字架の愛。イエス様があなたを救うためにご自身を犠牲にしてくださった、あの愛。
あなたが神様に対して犯してきた罪の罰を、あなたの代わりに受けてくださった、あの愛。
背中の肉を、骨が露出するまで引き裂かれ、出血多量になるほど血を流され、立っているのもやっとの状態で十字架を担がされ、十字架に釘で打ち付けられて、3時間も気が狂いそうな痛みに耐えてくださった、あの愛。
あれよりも大きな愛はこの世に存在しない...そんな愛をあなたはもう受けているんです。
でも私たちは、そんな愛よりも今日の試練から助け出してくれる愛の方がいい...って言うんです。
その愛もいいけど、今抱えている病気を癒してくれる愛の方がいい...って言うんです。
これって、100億円くれた人に、「どうして今月のお小遣いくれないの?」って言ってるようなもんだよね。
ローマ8:32にこう書かれています。
「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」
世界で一番大きな愛を注いでくださった神様は同じ愛で今日もあなたの必要を満たし、あなたの心を支え、あなたのために一番いい事をしてくださっています。
それは必ずしもあなたが期待している愛し方ではないでしょう。
あなたは試練から助け出す愛を探しているけど、神様の愛は試練の中であなたを励まし、あなたと一緒に歩んでくださる愛なのかもしれない。
あなたは病気が癒される愛を探しているけど、神様の愛は病気の中であなたを励まし、痛みに耐える力を与え、永遠への希望を思い出させ、あなたと一緒に歩んでくださる愛なのかもしれない。
あなたは自分の進もうとしている道を祝福してくださる愛を探しているけど、神様の愛はその道を閉ざして、あなたのために本当の意味で一番いい道を開いてくださる愛なのかもしれない。
神様はひとり子をあなたのためにささげてくださいました。
イエス様はいのちをあなたのためにささげてくださいました。
あの愛じゃ足りないですか?もっと愛が欲しいですか?
十字架の愛で十分じゃないですか?
十字架の愛を信じてみてください。
今日神様があなたの生活の中でされている事は、十字架の愛によってしてくださっている事です。
今日神様があなたの生活の中であえてされないでいる事は、十字架の愛によってされていない事です。
あなたは今日も愛されています。
世界で一番大きな愛で、愛されています。