2015年9月6日日曜日

苦しみを乗り越えるために

そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。
それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、
練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
この希望は失望に終わる事がありません。
なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
(ローマ5:3-5)

5か月の休養休暇を終えて、教会に戻った。久しぶりのメッセージにちょっと緊張したかな。

この5か月を振り返ってみて思った事。
      神様ってすっげぇ~~~
      僕って愛されちゃってるなぁ~~~

3月に起こった思いもしない出来事で心がズタズタグチャグチャボロボロになって、あと一歩、いや半歩で鬱の渦に飲み込まれる所まで落ちた。

4月は毎日泣いてた。なんだかわからなかったけど涙が止まらなかった。ミニストリーをしないで休んでしまっている自分が受け入れられなかった。グチャグチャになってしまっている自分が受け入れられなかった。

どうしてこんな事が自分に起こるのかわからなかった。どうして神様がこんな事を許されたのかわからなかった。

神様のために一生懸命仕えてきたのに...つもりなのに、どうしてこんなに苦しい思いをしなきゃいけないのか、わからなかった。そんな時、こんなみことばが語られた。

「あなたがたが召されたのは、実にそのため(善を行なって苦しみを受け、耐え忍ぶため)です。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡にしたがうようにと、あなたがたに模範を残されました。」(1ペテロ2:21)

頭では理解できたけど、全然嬉しくないみことばだった。

でも今振り返ってみて、わかった素敵な事がある。一言で言うと「神様は全部知っておられた」って事。

神様はあの出来事が起こる事を知っておられた。神様は僕の心がズタズタグチャグチャボロボロになる事を知っておられた。神様は僕が助けをいっぱい必要とする事を知っておられた。それで神様は僕を励まし、力づけ、もう一度立ち上がらせるために、前もっていろんなイベントを用意してくださってた。

最悪の状態に陥ってすぐ、Y先生に相談できる機会が用意されていた。Y先生は即答で「先生、休んでください。教会は私たちが何とかするから、心配しないで休んでください」と言ってくださった。

12年以上会っていなかった親友牧師と思いがけない再会が待ってた。夜遅くまで語り合い、祈り合い、励まし合い...昔に戻ったみたいで、めちゃくちゃ励まされ、元気もらえた3日間だった。

いくつかのカンファレンスに参加した(前から決まってた)。神様がめちゃくちゃ語ってくださって、これまた涙が止まらなかった。

日本でいろんな牧師先生との交わりがあって、励まされ、アドバイスをいただき、力づけられた。
帰国後もゲストスピーカーの先生との交わりがあり、ここでも励まされ、アドバイスをいただき、力づけられた。

ほとんどが今回の出来事が起こる前から予定されていた出来事。つまり、僕が立ち直るためにあれこれ予定した出来事じゃなくて、神様が事前に予定に入れておいてくださった出来事だった。

神様はこうしてたくさんのイベントを既に用意しておいてくださり、たくさんの人を僕の通り道に配置しておいてくださった。僕を励まし、力づけ、もう一度立ち上がらせて、働きに戻る事ができるように...って。

神様ってすっげぇ~~。
僕って愛されちゃってる~~。

でもこれは僕が特別扱いされてたわけじゃない。
みんな同じ神様に、同じように愛されてるんだ。

だから苦しみが苦しみで終わらず、忍耐を生み出し、練られた品性を生み出し、希望に至る事んだ。


ハレルヤ~~!!