2014年9月4日木曜日

脱「人間中心」


「神様の恵みは罪を正当化する言い訳じゃなくて、もっと神様を愛し、仕えるための理由です。」

ある教会で1年間「恵み」についてメッセージが語られていたって聞いた事がある。
へぇ...って思った。僕にはできないなぁ...って思った。(笑)

神様は恵みを注いでくださっている。
神様は愛してくださってる。
神様は必要を満たしてくださる。
神様は罪を赦してくださる。
神様は導いてくださる。
神様はいやしてくださる。
神様は力を与えてくださる。

確かにその通り。そして聞いてる人は「神様ってステキ!」って思っただろうね。
みんな気分良かっただろうね。

でもそればっかってのはどうなのかなぁ...

今のキリスト教の信仰って人間中心のような気がする。
多くのクリスチャンは神様がしてくださる事ばっかり期待してるような気がする。

でもそれってなんか人間中心すぎない?
それって神様が人に仕えてるピクチャーじゃない?
本来は神様が中心の世界で、人が神様に仕えるはずなんじゃないのかなぁ...

ある日曜日、若いクリスチャンがこんな事をFBに書いていた。
「これから礼拝。神様がどんな事してくださるか楽しみ!」

礼拝って神様が僕たちのためにしてくださるものじゃなくて、僕たちが神様のために奉げるものなんだけど...

神様が恵みによって私たちを救ってくださったのは、自分と自分の罪に仕えていた僕たちが神様に仕えるようになるため。

だって、天国に行ったら毎日何するの?

「神と小羊の御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え...」(黙示録22:3)

これが本来あるべき僕たちと神様の関係なんだよね。
僕たちは神様に仕える者として造られ、神様に仕えるために救われたんだ。

でも僕たちは神様が自分に仕えてくれる事ばかり期待しているような気がする。

「神様、今日私はこれをするから、私と一緒に来て祝福してくださいね。」
「神様、私これが必要だから、用意しておいてくださいね。」
「神様、今日も恵みをしっかり注いでいてくださいね。あ、あとあわれみも忘れないで。」
「神様、今日めっちゃきつい一日でした。何してたんですか?」

誰が主人で、誰がしもべなんだろう?

神様がしてくださる事を知るのも大事だけど、神様のために自分がすべきことをもっと考える事がもっと大切なんじゃないかな。

そう思って聖書を読んでみると、神様がしてくださる事よりも、神様が僕たちに期待している事の方が断然多く書かれてる。(俗に「戒め」と呼ばれてます)

神様が自分のためにしてくださる事を期待するより、神様が自分に期待している事に心を向けよう。

祈りも「あれしてください、これしてください」と言う人間中心の祈りからこういう風に変えてみよう。

今日、あなたは私にどう生きる事を求めておられますか?
今日、あなたは私に何をしてほしいですか?
今日、あなたの期待に応える事ができますように。

僕はこう書かれてるリストバンドをしてます。
He died 4 me. I live 4 Him. (彼は私のために死なれた。私は彼のために生きよう。)

ただ、イエス様を信じて生きるクリスチャンじゃなくて、イエス様のために生きるクリスチャンでありたいな。

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