あなたがたあなたの神、主の御声に聞き従うので、
次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。
(申命記28:2)
神様の愛は無条件の愛です。
私たちがどんなに汚れていても、罪深くても、愛し続けてくださる愛です。
ローマ8:39でも、どんな物も「私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」って書いてあるし...
これは本当に最高ですね。ハレルヤ!
でも、愛してくれてるからって言って、いつでも何でも祝福してくれるわけじゃない。
私たちは時折...と言うか結構、この二つを混同してしまっているような気がする。
神様は私たちを無条件で愛してくださっている。だから無条件で祝福してくださるんだ。
そう思ってたりするんじゃないかな。
「神様は私を愛してくれているのにどうしてこんな苦しみに合わせるの?どうして祝福してくださらないの?」ってよく耳にします。
もちろんいろんなケースがあるから一概には言えないけど、神様そっちのけで自分勝手な生き方していながら「無条件の愛による自動的祝福」を期待している人が結構いるよね。
でも聖書を読んでると、神様は何回も、何回も、しつこいくらい「あなたが従うなら祝福するよ」って言っておられる。
冒頭の箇所もそうだし、2歴代誌16:9にも「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。」って書いてある。
イエス様も同じことを言われたよね。「わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者が入るのです。」(マタイ7:21)
祝福は神様に従う者に注がれる...これが聖書的祝福の公式です。
神様を信じるなら祝福される...のではなくて、神様に従うなら祝福される...なんです。
考えてみると確かに、イエス様信じてます~って言いながら、勝手な事ばかりして「祝福してください」ってのはあまりにも虫が良すぎるような気がしませんか?
「旅行に行くから日曜日教会に行けないんだけど、旅行が祝福されるよう祈ってください。」
「日曜日、仕事の面接があるので、祈ってください。」
「あまり勉強してないんだけど、試験でいい点が取れるよう祈ってください。」
よくある祈祷課題です。
でも、神様の前にやるべき事をせずに祝福を求めてもそれはちょっと無理かも。ちょっと虫が良すぎるよね。
神様からの祝福は「クリスチャン」に注がれるのではなくて、「従う者」に注がれます。
自分がやりたい事があってもそれよりも神様に従う事を選ぶ時、神様は祝福してくださるんです。
人がいい顔しない、ってわかっていても、それでも神様に従う事を選ぶ時、神様は祝福してくださるんです。
自分が愛される事、自分が祝福される事、自分が恵まれる事...そんな「自分、自分、自分」じゃなくて、自分が神様のためにできる事に目を向けて、神様に従う事に心を注ぎ込む...そしたら祝福は求めなくてもついてくるんです。
シンプルなんだけど...「欲」があるから難しく感じるんだろうなぁ。
祝福に満ちたクリスチャンライフ、送りたいですね。
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