愚か者は自分の道を正しいと思う。
しかし知恵のある者は忠告を聞き入れる。
(箴言12:15)
「信仰は大丈夫なんですよ。」とそのご婦人は言った。
何かの小説の一文のようですが...教会生活に喜びが無い、と相談に来られたご婦人の言葉です。
教会に自分の居場所が見いだせない。心を開いて話せる相手がいない。喜びがない。
こう言う人たちの多くは、神様が何かをしてくれるのを待っています。周りが何かをしてくれるのを待っています。
でも神様は「あなた」が変わることを待っておられるんです。
自分中心の目ではなく、神様中心の目で環境を見るのを待っておられるんです。
信仰の中心がずれると、受け身のクリスチャンになってしまいます。
その事を指摘して、もう一度自分の信仰を見直すことを勧めるた時にこのご婦人が言った言葉です。
「信仰は大丈夫なんですよ。」
お医者さんに行って、最近調子が悪い事を話した時にお医者さんは当然診断をして、「あなたは風邪を引いてます」「あなたは血圧が高いですね」みたいなことを言われるでしょう。
その時に、「いや、私は健康は大丈夫なんです」って言うでしょうか?
言わないですよね?(私は言いませんけど...)
でも、自分の生き方や、自分の信仰のあり方について何かを指摘されると、「いや、私は大丈夫」って頑張りたくなる自分がいるかもしれません。
「信仰は大丈夫なんですよ」...この言葉は「私は変わる必要はありません」って言う言葉です。
ちょっとひねくれた言い方かもしれないけど「あなたのアドバイスは間違ってます」とも取れます。
でもこの言葉を使い始めたら、人は成長しなくなります。成長しない所か、信仰は後退していきます。
サタンの思う壺です。
イエス様も言われました。「聞く耳のある者は聞きなさい。」
神様からの忠告として聞く耳のある者は、聞いて、受け入れなさい...そう言う意味です。
牧師や信仰の先輩、或いは信仰の友が自分の間違いや弱さを指摘して、忠告してくる時、それは単に「人のアドバイス」ではなくて、その人たちを用いて神様が語っている事を忘れないでいたいものです。
神様がその人たちを通して自分に忠告しているんだ...そう受け止めたいですね。
楽しくはないですよ。でも、良薬口に苦し...時には厳しいアドバイスが私たちは必要なんじゃないかな。
自分が聞きたいアドバイスだけを受け入れる人がよくいます。そういう人は自分が求めているアドバイスをしてくれる人に出会うまで、いろんな人に相談して回ります。
そうじゃなくて、自分が聞きたくないアドバイスであっても、それが自分を神様に近づけてくれるアドバイスであるなら...それがみことばによるアドバイスであるなら...しっかりと聞く耳をもって聞き、そのアドバイスを聞き入れたいですね。
そうすればイエス様に似た者へとまた一歩変えられていくことができるからです。
神様があなたに願っておられる姿へとまた一歩近づく事ができるからです。
あなたのためを思ってアドバイスをしてくれる人がいますか?
その人の言葉をどのように受け止めてますか?
0 件のコメント:
コメントを投稿