そして神は「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造した。
創世記1:26-27
神のかたちに造られた...ってどういう事だろう?
このテーマだけで本が書ける...って言うか、出版されてる。
神学書を開いてもこのテーマで何ページも使われてる。
「かたち」という言葉の原語を取り上げてああでもない、こうでもない、といろんな事が言われてる。
神様が権威を持っているように、地上でも権威が与えられてる...とか
知的...考える事ができる...とか
感情をコントロールできる...とか
解釈はとめどなく展開している。神学者がもっともらしく書いていると、もっともらしく見えるもんだね。
昔、バイブルスタディでもいろんな意見が飛び交っていて、ディスカッションが盛り上がっていたような記憶がある。
でも聖書学校で教わったのは...「聖書の答えは聖書から」。
神のかたちに似せて...と言うのがどう言う事か、神学者たちが言ってるほとんどの解釈は聖書には書かれてないんですよ。神学者の頭の中から生まれて来た「人間のアイディア」なんです。
聖書は何を教えてくれてるだろう?創世記5:1-2にこんな風に書かれてました。
「神はアダムを創造されたとき、神に似せて彼を造られ、男と女とに彼らを創造された。神は彼らを祝福して、その名をアダムと呼ばれた。アダムは、130年生きて、彼に似た、彼のかたちどおりの子を生んだ。」
普段は読み飛ばしてる箇所だけど...ちょっと注目してみよう。
神様が人を彼に「似せて」造られた。アダムは彼に「似た、彼のかたちどおり」の子を生んだ。
お!!同じ表現だ!!
神様が人を造られた時の表現とアダムが子供を生んだ時(もちろん実際にはエバですが)の表現...「似た」「かたち」と言う同じ表現が使われてるじゃないですか!!
つまり、神様が人を造られた時...それはまさに親から子が生まれたと言う意味合いがあるんです。
子どもは成長していくにつれて、親に似てくるよね。僕も父にそっくり...とよく言われます。喋り方、歩き方、咳のしかたまで似て来た...と言われます。別にそっくりになろうとしてるわけではないんだけど...やっぱ似てくるらしい。
同じように、僕たちも成長していく中で神様に似てくる...そういう存在として造られた、って事なんですよ。
ヨハネ1:12でイエス様を信じたら「神の子どもとされる」と書かれてます。
2コリント3:18で「主と同じかたちに姿を変えられていく」と書かれてます。
もともと神様の子どものように「神様に似せて造られた」私たちは放蕩息子のように勝手に飛び出して行きました。
でもイエス様を信じて、もう一度「神様の子ども」とされ、クリスチャンとして成長していく中で、徐々に神様に似た者とされていく...そんな意味が「神のかたちに似せて造られた」と言う表現には含まれているんですね。
って事は、私たちは成長して、天のお父さんに似た者となっていくように造られているって事。
言い換えるなら、クリスチャンになって神の子とされたなら、成長しないと意味がないって事です。
あなたはクリスチャンとして成長してますか?毎日成長し続けてますか?
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