2014年10月23日木曜日

信仰による祈り

何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださると言う事、
これこそ神に対する私たちの確信です。
1ヨハネ5:14

祈りについていろんなみことばがあります。でも、このみことばがないと「祈り」はとってもずれたものになってしまいます。

「求めなさい。そうすれば与えられます。」(マタイ7:7)
「もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に『ここからあそこに移れ』と言えば移るのです。」(マタイ17:20)
「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、その通りになります。」(マルコ11:24)

これらのみことばから「信じて祈ったら必ず神様は聞いてくださる」と多くの人は信じています。
まじで多くの人が信じています。中には「大勢で祈ったら聞かれる」「叫んだら聞かれる」とかいろいろ発展する人もいますが...。

でももしこれが本当だったら...これはとても恐ろしい事ですよ。

だって罪の性質を持っている人間の願いを「信じて祈った」と言う理由だけで叶えていたら「最善としてくださる神様のご計画」ってのはどうなってしまうんでしょう?

僕が欲しい物を「信じて祈った」から神様が与えてくれるとしたら...なんとなく嬉しいけど、それじゃ自動販売機と何ら変わりないじゃん。

クリスチャンであっても僕たちの心には自己中心的な罪の性質がしっかり残ってます。
自分を喜ばせたい、満足したい、もっといい生活がしたい...そんな思いで祈る祈りを神様が聞いてくださるとしたら、神様は本当に僕に一番いい事をしてくださっているだろうか?

それって神様じゃなくて、しもべ/召使のする事じゃない?

イエス様を信じる前の私たちは自分に頼って生きていました。自分の知識、自分の判断、自分の体験、自分の直感...とにかく自分に頼って生きていました。

でもイエス様を信じて、今度はイエス様に頼るようになりました。これ、どういう事でしょう?

自分の知識、自分の判断、自分の体験、自分の直感によって「これが必要」「こうする事が一番」と思う事をイエス様に助けてもらう事...かな?それって頼ってるようで、頼ってないよね。結局自分の思う通りに事を運ぼうとしているわけだもん。

あれください、これください、ああしてください、こうしてください...私は神様が必ずしてくださると信じます!!それはまだ自分がコントロールしてる祈りであって、頼る祈りじゃない。全然頼ってない。これは「信仰」じゃない。

むしろ、イエス様の知識、イエス様の判断、イエス様の導き、イエス様のご計画に頼って、イエス様が一番いいと思っている事をしてください。それが何であれ私は着いて行きますから...これがイエス様を信じて、イエス様に頼るって事じゃない?

だとしたら、祈りもそうでなきゃいけない。

イエス様はゲッセマネで「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」(ルカ22:42)って祈られた。

やっぱこれじゃない?
神様を信じて祈る、って言うのは「神様は絶対この願いを叶えてくださる」と信じて祈ることじゃなくて、神様のみこころが一番なんだ、って信じて祈る事です。

神様のみこころが一番なんだって信じる祈りには「みこころなら」と言う言葉だけでなく思いも含まれてくるようになります。「私はこれを願っているけど、神様が一番いいと思う事をしてください。私はそれを受け入れ、それに従いますから。」 これが本当の信仰による祈りなんじゃないかな。


今日からみこころを求める祈りを始めてみませんか。

0 件のコメント:

コメントを投稿