聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。
それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。
(2テモテ3:16-17)
取扱説明書を読むのが趣味...と言う人いますか?特に使わない物でもとにかく取扱説明書を読んで、その製品を知っておきたい...もしかしたらいるかもしれませんが、私はその一人ではありません。
アメリカで本棚とか勉強机を買うと自分で組み立てなければならない物が結構あります。ある日、子供たちの新しい勉強机を組み立てていたんですが、「このくらい簡単」と思って説明書をよく読まずに組み立て始めました。
途中でなんか変だな...と思って初めて説明書を開いて照らし合わせてみると、パネルの1枚が裏表反対についているではありませんか。「あらら...」と思って直そうと思ったら、そのパネルに取り付けた他の部分を全部外さなければならず、倍の時間がかかってしまいました。
説明書って大事ですね。
聖書はクリスチャンライフの説明書です。
罪の中でずっと生きて来た私たちは罪のライフスタイルが身についています。でもイエス様を信じて、新しいライフスタイルを始めたわけですが、どうしたらイエス様が求めておられる、聖い生き方をすればいいかわかりません。
そこで聖書が必要になるんです。聖書と言う取扱説明書を読みながら、新しいライフスタイルを一歩ずつ進めて行くんです。
机を組み立てる時、一つのパネルを取り付けるごとに説明書を確認するように、一歩進むごとに聖書を確認するんです。そう考えるとやっぱり毎日読む必要がある事がわかるでしょう。
でもただ読めばいい...わけではありません。ただ知識を蓄えればいい...わけでもありません。
どんな物でも、説明書を読んだら、そこに書いてある通りにやってみるでしょう?同じように聖書を読む時、底に書いてある通りにやってみて初めて聖書の価値が現われるんです。
聖書は私たちがどのように生きるべきか教えてくれます。私たちが道を踏み外している時、戒めてくれます。そして正しい歩み方を教え、矯正してくれます。そして罪の生き方に染まっていた私たちが義の生き方をするように訓練してくれます。
聖書は神の霊感によるもの...言語では「神の口から吐き出されたもの」と言う意味合いがある表現になっていますが...つまり、神様の言葉です。神様が私たちに語ってくださっている言葉です。
私が聖書を読む時、神様が私に語り掛けておられるんですね。
つまり、聖書を読む時、神様が「こうやって生きてごらん」って教えてくださっているんです。
それに対して「ああ、そういう意味だったんですか。また少し賢くなりました」と言っても、実際に神様が言われているように生きていなかったら...結構滑稽ですよね。
聖書を読む時、ただ知識を蓄えるだけじゃなくて、読んだことを適用して、実践して、義の道を歩むように変えられていく...そういう読み方、学び方をしたいものです。
読む前に、学ぶ前に、「今日は何を神様は語ってくださるだろうか?どのように適用して神様のために生きることができるだろうか?」って言う思いで聖書を開きたいものです。
読む前に、学ぶ前に、「今日は何を神様は語ってくださるだろうか?どのように適用して神様のために生きることができるだろうか?」って言う思いで聖書を開きたいものです。
ヤコブも言っています。「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」(ヤコブ1:22)
今日、聖書を読みましたか?
今週、聖書を学びましたか?
読んだ事、学んだことを実行に移してみましたか?
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