2015年2月7日土曜日

神様に喜ばれる礼拝

わたしはあなたがたの祭りを憎み、退ける。
あなたがたのきよめの集会のときのかおりも、わたしは、かぎたくない。
たとい、あなたがたが全焼のいけにえや、
穀物のささげ物をわたしにささげても、わたしはこれらを喜ばない。
あなたがたの肥えた家畜の和解のいけにえにも、目もくれない。
あなたがたの歌の騒ぎを、わたしから遠ざけよ。
わたしはあなたがたの琴の音を聞きたくない。
(アモス5:21-23)

「いやぁ、今日はいい礼拝だった」
「今日の賛美、めっちゃ熱かったよね」

このように言えるって素敵だと思います。それだけ真剣に礼拝に臨んでいると言う事でしょう。
神様が同じように言って下さったら、もっと素晴らしいと思いますね。
でも必ずしも、私たちの礼拝評価と神様の礼拝評価は同じではないのかもしれません。

カインは普通に穀物のささげ物をささげました。アベルは羊の中から最良のものをささげました。
二人とも、ちゃんとささげ物をささげました。二人とも、ちゃんとささげたので、それなりに満足していた事でしょう。
でも神様はカインのささげ物を拒絶し、アベルのささげ物だけを受け入れられました。

イスラエル人は神様に言われた通りにきよめの集会をして、いけにえをささげていました。
全焼のいけにえもちゃんとささげていました。それだけじゃなくて、穀物のささげ物も、和解のいけにえも、ちゃんと神様に言われた通りにささげていました。賛美の歌も歌っていました。

ちゃんと言われた通りにしていたので、きっとみんな満足していた事でしょう。

でも神様は全然満足されていませんでした。神様は全然喜んでいませんでした。

礼拝は誰を満足させるものでしょう?
礼拝は誰を喜ばせるものでしょう?

神様です。

バンドが上手に演奏して、雰囲気を盛り上げて、みんなで手を上げて歌って、最高の気分になって...この時点で礼拝者は最高に満足しています。気持ち的に満たされています。

「いいメッセージ」を聞いたら、恵まれたような気がします。いい礼拝だったような気がします。

でも、神様は満足されているでしょうか?神様は喜ばれているでしょうか?

神様が喜ばれる礼拝はどんな礼拝でしょう?1サムエル15:22でこう言われています。

主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。」

気持ちを込めて「あなたを愛します~」って賛美するだけではなく、日々神様を愛する愛によって、そのみことばに従う生活をする時、それが真の礼拝となって、神様はその賛美を喜んでくださいます。

いいメッセージを聞いて感動するだけではなく、語られた事に応答して、実践して行く時、それが真の礼拝となって、神様はその応答を喜んでくださいます。

あなたの礼拝は自分の満足でとどまっていませんか?

神様に喜ばれ、受け入れられる礼拝を心がけてみませんか?

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