キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、
ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。
(ピリピ2:6-7)
クリスマスはイエス様の誕生日。神のひとり子が人となって生まれた日。
宿に場所がなかった。あなたの心にはイエス様の場所がありますか?
羊飼いはイエス様を見に駆けつけた。あなたもイエス様の元に駆けつけよう。
博士たちはイエス様に贈り物をささげた。あなたはどんな贈り物をささげますか?
いろんなクリスマスメッセージがありますよね。
とは言っても、牧師としては毎年違う「ネタ」で語るのは結構大変なんですよ...限られたクリスマスの聖書箇所から毎年毎年...やっぱネタ切れを感じることもしばしば...(笑)
そんな中でふと考えた事がありました。
神のひとり子が人となるって一体どんな感じだったんだろう?
まず、「赤ん坊」から始まりました。
神様なのに「人間」のお世話にならなきゃいけない。
神様なのに「人間」におむつを替えてもらわないといけない。
神様なのに「人間」に食べさせてもらわないといけない。
神様なのに「人間」に抱っこしてもらわないといけない。
で、成長して少年になって、大人になって...
神様なのにA地点からB地点に行くのに歩かなきゃいけない。疲れる。
神様なのに食事しないとお腹が空いちゃう。
神様なのに怪我したら血出るし、痛い。
めっちゃ面倒くさい。不便。大変。
そして...
神様なのに「人間」に反発されて
神様なのに「人間」に捕まえられて
神様なのに「人間」に鞭で打たれて
神様なのに「人間」につば吐きかけられて
神様なのに「人間」に十字架につけられて
神様なのに「人間」に殺されて
めっちゃ屈辱。
僕だったらそんな事になるってわかってたら絶対行かない。
それでもどうしても行かなきゃいけないとしたら、めっちゃ気が重くて、憂鬱になる。
でも、イエス様は来てくださった。いやいやじゃなくて...むしろ、御使いに賛美されながら生まれて来られた。
それはもっと先にある「救い」と言う大きなご計画のため...イエス様を十字架につけた張本人である私とあなたの救いのため。
ここにイエス様の大きな愛が見える。
クリスマス...それは単に「救い主がお生まれになった」日じゃない。
それは全能者であり、創造主である神様が、被造物である私たち人間の姿となって、私たちを救うために不可能な一歩を踏み出してくださった日。
イエス様、ありがとう。
0 件のコメント:
コメントを投稿