2016年8月9日火曜日

今しかできない事

それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。
そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。
(マタイ28:19-20)

これはイエス様が地上を去る前に言い残された言葉です。いわば「遺言」と言ってもいいでしょう。

最後の最後に言い残す事...どうでもいい事は言いませんよね。「これだけは忘れないで」と言う大切な、大切な事を言い残すはずです。

イエス様のこの言葉も同じです。私たちに「これは何よりも大切なことだからね」と言い残されたんですね。
一言で言うなら「弟子を作りなさい」です。同時にこれは「伝道しなさい」と言う事でもあります。伝道は弟子づくりの第一歩ですからね。

僕は牧師になる前、ずっと伝道を避けていました。苦手でした。イエス様の事を伝えて「No」と言われたら、何て言えばいい?と思うとできなくなってました。

その代りと言ってはなんですが、他のいろんな奉仕を一生懸命してました。教会のイベント企画、賛美、土曜礼拝のメッセージなどなど。

でもそんな僕を神様は「教会開拓」と言う働きに押し出されました。最初は神様のいやがらせかと思いました(笑)。
開拓をしていると、伝道をしなければなりません。伝道しないと開拓はすすみませんからね。苦手分野でありながらも一生懸命やりました。

一人救われ、二人救われ...救われる人が起こされるうちに段々、伝道がやめられなくなっている自分に気づきました。「得意」とは違います。基本的に内向的なので、知らない人に声をかけて伝道する...なんてことはしません。

でも知り合った人、教会に来た人にはどんどんイエス様の事を伝える事ができるようになりました。その中で、イエス様を信じる人もいれば、信じないで来なくなる人もいます。

でも、イエス様が語っても去る人はいっぱいいましたからね。イエス様以上の事が僕にできるわけがない...そう思うと肩の荷が軽くなりました。僕の責任は信じさせることではなくて、伝える事。

で...ふと思ったんです。伝道って今しかできないんだよね。
今、この地上で生きている間にしかできないんだよね。

賛美は天国でもできる。天国では一日中賛美してるんだ。
奉仕は天国でもできる。毎日イエス様に仕えるようになるんだ。
交わりも天国でできる。永遠にイエス様との交わりの中にいるんだ。

でも伝道は...今しかできない。この世の終わりにイエス様がやって来られるまでしかできない。
今伝道しなかったらいつやる?

今やらなかったら...イエス様が来られるまでにやっておかなかったら...どんなに後悔しても天国ではできないんだ。

だからイエス様は最後の最後に「神を賛美しなさい」じゃなくて、「神に仕えなさい」じゃなくて、「神を伝え、弟子を作りなさい」って言われたのかもしれない。今しかできない事だから...今やらなきゃいけない事だから。

苦手な人もいると思う。僕もそうだった。
でも勇気出して、恥ずかしがらないで、やってみよう。

やりたくてもやれなくなる日が来る前に。

2016年6月15日水曜日

フロリダのゲイバー乱射事件にまつわって

わたしは悪者の死を喜ぶだろうか。~神である主の御告げ~
彼がその態度を悔い改めて、生きる事を喜ばないだろうか。
(エゼキエル18:23)

フロリダのゲイバーで乱射事件があり、49人が命を落とした。アメリカでも最悪な乱射事件の一つとなる、大参事です。

ニュースやインターネットでも男性カップルが抱き合って泣いている写真が見られます。

さすがに誰も口に出したり、インターネットに投稿したりしていないようだけど、複雑な心境になっているクリスチャン、この出来事をどう解釈していいのかわからないで困っているクリスチャンもいるんじゃないかな...と思う。

同性愛がはびこっていたソドムとゴモラは滅ぼされた...それを思い出した人もいるかもしれない。

確かに同性愛は罪。その同性愛者が集まるゲイバーでの大参事...「神様の裁き?」と思った人もいるかもしれない。

確かに聖書ははっきりと同性愛は罪であると言ってます。(ローマ1:27)

でも、ギャンブルも罪でしょう?なのにラスベガスではこんな参事は起きてません。
嘘をつくのも罪でしょう?
献金をしないのも罪でしょう?
神様を第一にしないのも罪でしょう?

罪を犯しているから裁かれるなら、私たちみんな神様から裁かれなきゃいけないんじゃないかな。

同性愛は他の罪と比べて「ひどい罪」でも「大きい罪」でもない...同じ罪です。
嘘をつくのと同じ罪です。
献金をしないのと同じ罪です。
神様を第一にしないのと同じ罪です。

今のクリスチャン社会において、同性愛とか浮気とか同棲とか結婚前のセックスとかオナニーとか「性的な罪」は特別ひどい罪...ってみなされているような気がするけど、それって聖書的じゃないよね。

他のすべての罪も同じ罪なんだ。
性的な罪を「ひどい罪」とする時、私たちは無意識のうちに他の日常的な罪を「大したことない罪」としてしまっているような気がする。

神様の前において、すべての罪は同じ「罪」であることを忘れちゃいけない。
罪人に対する神様の思いがエゼキエル書に書かれています。

わたしは悪者の死を喜ぶだろうか。~神である主の御告げ~ 彼がその態度を悔い改めて、生きる事を喜ばないだろうか。 (エゼキエル18:23)

わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。~神である主の御告げ~ だから、悔い改めて、生きよ。 (エゼキエル18:32)

更にこうも言われています。
主は、ある人たちが遅いと思っているように、その約束の事(裁き)を遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びる事を望まず、すべての人が悔い改めに進む事を望んでおられるのです。 (2ペテロ3:9)

神様はまだ、罪人を裁かれる事はなさいません。むしろ裁かれて欲しくないんです。そして彼らが裁かれないように...一人でも多く悔い改めて神様に立ち返って欲しい、と切望されているんです。

今回の事件は人の持つ罪が招いた大参事です。大悲劇です。

クリスチャンである私たちは、まず「泣く者とともに泣く」者でありたいですね。(ローマ12:15)

そして一人でも多くが裁きの日が来る前にイエス様を信じる事ができるように伝えていきたいものです。

2016年3月31日木曜日

言いたい事を言える関係

悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。
ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。
(エペソ4:29)

言いたい事が言えない関係って淋しい。
そう思った事ありませんか?

日本は「本音と建前」の社会です。人間関係をきれいに見せるために「建前」を並べて、なかなか本音を言わない...そんな淋しい社会。

だから「もっと本音で話し合える友達が欲しい」って思うのかもしれない。
特にクリスチャンになったら「建前って偽りじゃん」って思うのかもしれない。

「主にある家族と言いながら、みんな全然本音で話してない...きれいごとしか言わない...こんなの家族じゃない。」って言われた事があります。確かに...そう言われてみると、そうかもしれない。

でもね...ちょっと考えたんです。
「本音で話す」って格好良く聞こえるけど、みんながそれを始めたらどうなるかな?

ある人がこんな事を言ってました。「教会は赦しの場所なんだから、何言ってもいいんですよ。」

え?まじ?
それって「神様赦してくださるんだから、罪を犯していいんですよ」って言ってるのと同じじゃない?(汗)

確かに「偽り」で飾った人間関係は所詮「偽りの関係」だよね。
でも人間関係を壊すのは多くの場合「本音」じゃない?

聖書は偽りを語らず真理を語りなさい、って言ってる。
聖書は不誠実ではなく誠実でありなさい、って言ってる。
でも同時に「人の徳を養うのに役立つ言葉を話し」なさいって言ってる。(エペソ4:29)
「愛をもって真理を語り」って言ってる。(エペソ4:15)
「愛をもって深い尊敬を払いなさい。お互いの間に平和を保ちなさい。」って言ってる。(1テサロニケ5:13)

本音でぶつかる事は時には気持ちいいかもしれない。
特にぶつけた方は気持ちいいだろう。
でもぶつけられた方は必ずしもいい気持ちはしないかもしれない。
ひょっとしたら、めちゃくちゃ傷ついてるかもしれない。めちゃくちゃ我慢を強いられてるかもしれない。

それは愛じゃなくて、本音をぶつけたい人の自己満足じゃないかな。

聖書は、そうじゃなくて、愛をもって相手の信仰の成長に役立つように、「互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい」って言ってる。(1テサロニケ5:11)


言いたい事を言うのではなくて、相手が神様により近づく事ができるような言葉を語り、励まし合う...それが主にある家族の姿だと思う。